戦後、GHQを代わり、台湾を接収した国民政府は、「一党訓政」という体制を台湾に導入し、台湾に対する言論自由の統制をさらに強化した。特に1947年の228事件以降、国民党当局は、国民の抗議デモを弾圧、新聞社を閉じさせ、さらに、無差別の逮捕、優秀な人を殺害した。1949年春には、台湾大学と師範大学の学生を迫害した、いわゆる「四六事件」があり、その後5月に戒厳令が敷かれると、台湾の言論自由環境は、さらに悪化した。