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1987年、国民党当局は、国際的及び国内改革要求の圧力を受けて、蒋経国は『動員戡乱時期国家安全法』を制定し、その後、『戒厳令』と新聞規制を解除し、長年台湾人が『戒厳令』によって制限された言論の自由は、部分的に解除された。しかし、動員戡乱体制及び『懲治叛乱条例』と『刑法』第100条によって、国民の言論自由は、依然として制限された。1989年、100%言論の自由を求めた鄭南榕(てい なんよう)は、台湾独立を主張したため、国民党当局から「叛乱の疑い」で召喚された。彼は、平和の方法で抵抗し、自分の理念を強く主張しながら、『自由時代』の雑誌社で71日間も引きこもった。47日、軍と警察が、彼を強制的逮捕しようとすると、鄭氏は、編集室内で焼身自殺した。1991年、李登輝総統が動員戡乱体制の終了が発表され、台湾はようやく自由国家へ向かい動き始めた。なおかつ、『懲治叛乱条例』の廃止と『刑法』第100条の修正により、1992年に台湾は民主、自主の道へ歩き始めた。それにもかかわらず、「国安三法」が存在しているからこそ、依然として立憲主義の精神に違反し、言論自由に対する制限が続いたこととなった。

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