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19506月に朝鮮戦争が勃発し、米国のアジア戦略は一変した。それとともに、国民党当局が台湾における態勢も変わり、一時期に安泰になった。しかしながら、このような状況下、国民党当局は、立憲主義の軌道に戻れず、国民思想、言論、人身、集会、結社等の自由を侵害する法律を維持し、『戡乱時期検粛匪諜条例』、『懲治叛乱条例』を発令し、人権侵害を継続した。さらに、続いて、2回もわたって、『出版法』を改正、また、『出版法施行細則』を制定した。これは、指導者たちが、報道の自由及び言論の自由を強く統制しようとしたからである。国民党当局が言論自由を厳しく統制しているなか、各種の新聞、定期刊行物などが禁じされ、雷震(ライ シン)が取り組んでいる『自由中国』の雑誌は、時に政府を批判し、改革を求めた際に、国民党に厳しく弾圧された。

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